万有引力 (ニュートン)
『アブダクション』 米盛 裕二
ニュートンは林檎が落ちるのをみて万有引力の思想を考えついたという逸話はたんなる伝説ではなく信頼のおける実話のようで、W・スタックリー(1687~1776)は晩年のニュートンに会って聞いたことをつぎのように記しています。「(ロンドンのニュートン家で)昼食後は非常に暑かった。われわれは庭に出て、数本の林檎の木陰で茶を飲んでいた。そこにいるのはわれわれ三人だけだった。話の間、アイザック卿は私に語った、重力に関する思想が私の頭にはじめて浮かんだときも、私はちょうどいまと同じ姿勢をとっていたと。ニュートンが思索に沈みながら座っていると、林檎が落下して次のような思想が彼の頭に浮かんだのである。林檎はなぜいつも垂直に落ちるのか、何故わきの方ではなくていつも地球の中心に向かって落ちるのか、ニュートンは頭のなかで考えてみた。物質のなかには引力があって、それが地球の中心に集中しているのでなければならない。もし一つの物質が他の物質を引きつけるならば、その大きさの間には比例関係が成り立っていなければならない。そのために林檎は、地球が林檎を引くのと同様に、地球を引くのだ。だから、われわれが重さと呼ぶものと同様の力があって、それが全宇宙に拡がっているのでなければならない」。
印刷機 (グーテンベルク)
『機械の中の幽霊』 アーサー・ケストラー
印刷機を発明(あるいは、少なくとも他の人たちとは独立に発明)したグーテンベルクの例をとってみよう。彼の最初の着想は、印章つきの指輪あるいは印章のように、文字の型を鋳込むことであった。しかし、数千個の小さな印章をよせ集めて紙の上に均等に印刷できるようにするには、どうすればよいか。彼はこの問題でいく年間も苦闘した。そうしてついにある日、故郷のラインラントにブドウつみに行き、たぶんブドウ酒もだいぶ飲んだのであろう、彼はある手紙の中で書いている。「私はブドウ汁が流れでるのを見つめていました。そうしてこの結果を原因へとさかのぼり、何物も抵抗のできないブドウ搾り機の力を学びました…。」このときに、はっと眼が開いたのだ。印章とブドウ搾り機が結合して印刷機が得られた。
ブール代数 (ジョージ・ブール)
『思考のための道具』 ハワード・ラインゴールド
ジョージ・ブールという17歳の英国人が驚くべき天啓に撃たれたのは、1832年のある日に草地を歩いている時であった。あまりに突然であり、その後の彼の人生に深い影響を与えたので、それまでは思いがけない人間の能力としてあいまいに推論されていたものを、ブールは「無意識」と呼ぶべきであると提唱している。しかしブールの人類に対する貢献は心理学ではなく、バートランド・ラッセルが70年後に述べたような、独自の純粋数学におけるものである。
ブールは10代になってから数学を学び始めたばかりであったが、代数の形をとって人間の推論の能力のあるものを把捉し表現する方法をひらめいたのである。実際にブールの式は論理的問題によくあてはめることができたが、その当時は世間的に注目されなかった。ブールが上流階級の出身でなかったということもあるが、その当時の数学者に論理学の素養がなかったことが原因で、出版当時はブールによるこの洞察の過程の明確化は話題にのぼらなかった。彼の受けた啓示は彼の死後何十年も黙殺されていたのである。
100年後にコンピュータ技術の異なる要素が期せずして収斂した時に、電気工学者らは発明中の複雑な機械に使える数学的なツールを必要としていた。彼らが生みだしたスイッチのネットワークは、その動作を精密な式で記述し、予測できる電気回路だった。電気パルスのパターンは、いまでは計算機(カルキュレーター)のやっている「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」はもちろん、「アンド(and)」「オア(or)」そして何よりも重要な「イフ(if)」という論理的演算の略号化にも使用されるようになったので、コンピュータ回路の論理的特性を記述できる数式が必要となった。
理論的には、電気的な操作と論理演算の両方に同じ数学的ツールを用いることができたはずであるが、1930年代の後半には、論理的ネットワークと電気的ネットワークの両方を記述できる数学的な威力があることを誰も知らなかったのである。しかし、洞察力のある魂は見抜くものである。当時マサチューセッツエ科大学(MIT)の大変優秀な卒業生で、後に情報理論を発明したクロード・シャノンが、ブール代数は、まさにエンジニアが求めているものであると気づいたのである(※)。
※デジタル回路にブール代数を使うと良いと気づいたのはシャノンより中嶋章(NECの人)の方が先だったそうです。
スイッチング理論の原点を尋ねてーシャノンに先駆けた中嶋章の研究を中心に-